初出場&自国開催となった1994年の
ラグビーワールドカップで、
見事、優勝を果たしていた南アフリカ代表。

彼らの強さを決定づける要因の1つは、
ダイバーシティであり、

歴代の大統領の
功績によるもの
だったと言われています。

南アフリカには、アフリカーナーと呼ばれるオランダ系や

イングランド系、アフリカ系の選手が
在籍しており、

かつては、代表チームの人種構成が
政治問題に発展したことも
あったのだそう。

今回は、南アフリカのネルソン・マンデラ
元大統領について
ラグビー界に対する功績などまとめてみました

南アフリカの元大統領(マンデラ)は南アフリカのラグビー界への功労者?

南アフリカ初の黒人大統領であるマンデラ氏。

ネルソン・ホリシャシャ・マンデラ氏は
南アフリカ東部で生まれ

フォートヘア大学に
進学されていました。

大学時代に、学生運動に出会ったマンデラ氏は、

不平等、不公正、不正義への拒絶を
生涯にわたり貫くことに。

炭鉱で働き、法律を学ぶ中で
南アフリカ最古の
黒人政党に参加したマンデラ氏。

白人による国民党政権が樹立され、
差別が強まる中

自由で民主的な、
多人種の南アフリカを
目指したマンデラ氏は

27年間、無実の罪で投獄されていたそう。

71歳で釈放された後も

差別政策の
撤廃のために活動し

ノーベル平和賞を受賞していました。

以前の南アフリカには、

2割ほどの白人の支配層が

非白人(黒人、インド、パキスタン、
マレーシアなどからのアジア系住民)を差別し、

居住地区を定め、
異人種間の結婚を禁じ
参政権も認めなかった

いわゆるアパルトヘイトと呼ばれる
人種隔離(かくり)政策が
存在していました。

マンデラ氏の待遇の酷さ(劣悪な環境での投獄)などが
国際的な批判と
制裁の対象になり

政府も処遇をあらためることに。

その後、南アフリカ共和国の大統領となったマンデラ氏。

マンデラ氏とその支援者がいたからこそ
今の南アフリカ代表が在る
といった声も。

マンデラ氏の功績や名言も

マンデラ氏の功績のひとつは、

人種差別の撤廃によって
南アフリカのラグビーを

大きく進化させたことだと言われています。

1994年に人種隔離政策と決別し
国際舞台に
復帰した南アフリカ代表は、

95年に自国で開催した
ラグビーワールドカップの決勝で
ニュージーランドと対戦、

延長線でドロップゴールを決め
初優勝を果たしていました。

当時のマンデラ大統領は、
ジャージー姿で登場し
笑顔を見せていたようです。

今回(2019年)のワールドカップで、南アフリカ代表は
コリシ選手が
黒人初の主将をつとめます。

今後、日本が直面するであろうダイバーシティ社会を
象徴するかのような
今回のワールドカップですが、

10月20日の準々決勝(日本VS南アフリカ)は、
ラグビーと社会のつながりを考える
良いきっかけになりそうですね。

以下はマンデラ氏の名言です⇣

というわけで今回は、南アフリカの元大統領である
ネルソン・マンデラ氏について
まとめてみました!

また追加の情報があれば
アップしていきたいと思います!

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